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2006年3月17日 日本時事評論 

インタビュー特集/「日米韓のトライラテラル(三極)な安全保障を」

「治安対策が最大の関心事」

―今、一番関心を持っておられる政治課題は何ですか?
 治安対策です。具体的には、外国人犯罪や異常性愛者によるおかしな事件です。奈良の女子児童誘拐殺人事件や、滋賀県長浜市で二人の幼児が別の園児の母親から刺殺された事件など、悲惨な事件が後を絶ちません。滋賀の事件では、たまたま容疑者が中国籍の女性でしたが、外国人の起こす犯罪で検挙された犯人の六割が中国人です。
 現在、自民党の犯罪被害者救済保護特別言委員会の事務局長を務めていますが、加害者と被害者の人権バランスをしっかり取る必要を感じます。特に被害者の人権を重んじる形にしていかないといけないと思います。「人権」を掲げて、加害者を過剰に保護するのは間違っています。悪いことをしたら罰をうけるのは当然ですし、相応な処罰によって被害者側の心の救済を図る必要があります。
 もちろん、教育面での対処も必要です。現状は、道徳の授業が塾の宿題をやる時間になっていたりします。日本の神話や昔話、あるいはイソップ物語、ギリシャ神話などを読ませ、始動することで善悪の判断力を養わせることも公教育の場で考えていく必要があります。私自信も高校の社会科の教員免許を持っており、教育実習にも行きましたが、携帯電話で授業中に話をするようなクラスがほとんどで驚きました。全国で学級崩壊がいっぱい起こっています。

ライフワークとして外交問題も

―外交問題にも積極的に取り組んでおられますね。
 今年から外務委員になりましたが、選挙区が大阪という都市部なので、「外交問題は票にならない」とよく言われます。しかし、私自信は一貫して外交の重要性を訴えてきましたし、ライフワークとしてこれからも取り組んでいきたいと思います。
 特にアジアにおいては、韓国と北朝鮮と日本という三つの国がもっともよく話さないといけません。中でも韓国と日本は、民主主義が確立されている国家同士として、いろんな歴史問題を乗り越えて、しっかりと連携をとることが重要です。そうでなければ、中国や北朝鮮という一党独裁国家に対処できません。
 私は、二国間の日米安保、韓米安保にとどまらず、将来的には日米韓の三カ国が連携した安全保障条約にすることが、北朝鮮や中国に対しても、非常な牽制・抑止力になると思います。北朝鮮の核ミサイルに対する備えで、TMD(戦域ミサイル防衛構想)やBMD(弾道ミサイル防衛)をやっていますが、同時に中国からも飛んでこないとも限りません。その意味でも備えを放棄してはいけません。外務省の職員が、中国の女性スパイに暗号コードを渡せと言われて自殺をしましたが、殉職するぐらいの責任感があったということで、日本の外務省も捨てたものではないと思います。重要機密事項は墓場まで持っていくぐらいの気持ちで外交官をやってもらわなければ、民主主義が確立されていない国家と渡り合うのは難しいのです。与野党を問わず、中国の脅威を論議するのがおかしいという人がいますが、共産主義者に対して警戒心がなさ過ぎます。共産党に対する警戒心がなくなって、「日本では革命が起きない」と思っているんでしょうが、政治家はそういう危険な思想の存在を忘れてはいけないと思います。

韓国の議員と安保論争して・・・

―昨年末、韓国のウリ党とハンナラ党の所属国会議員と、外交安保問題で二泊三日の論議をしてこられましたね。
 日韓議員連盟の会合で、日本を代表して行って参りました。ウリ党の議員は本当に反米・嫌米思考が強く、親中派が多かったのが印象的でした。朝鮮半島の統一も、ウリ党は「中国とも一緒になって北朝鮮と統一を図りましょう」という考え方であり、ハンナラ党は「米国と韓国とで、北朝鮮をうまく抑えていきましょう」という考えです。西側諸国的な北朝鮮の開放と言う形での統一ならよいのですが、共産主義が跋扈する中国式の開放政策で統一されるとすれば、民主主義の崩壊です。
 アメリカの対中包囲網は、南と北、西側で敷かれていますが、唯一まだ戦略拠点として押さえられていないのが、朝鮮半島です。しかも、今回の米軍再編で、アメリカは沖縄ぐらいまで下がって、技術の進歩で対抗するとして、南朝鮮から撤収をする考えをして示しています。日米韓のトライラテラル(三極)な安全保障を提起する由縁です。日本人はアメリカが日米安保条約を切ることはないだろう思っていますが、アメリカは、中国との交渉の中で切ってくる可能性もあります。日本の安全保障上からも、三国による安保再構築の必要性を感じます。

周到なアメリカの半島政策

―アメリカと北朝鮮、アメリカと韓国の関係はギクシャクしているように見えますが・・・。
 ブッシュ大統領の一期目は、北朝鮮を「悪の枢軸だ」と名指しし、外交ルートを全部ストップさせました。それは、ABC(エニシング・バット・アゲインンスト・クリントン)政策といって、クリントン政権がやったことをすべて止めろという方針を打ち出したからです。クリントンの時代は、韓国では金大中大統領で、北朝鮮には太陽政策を取っていました。当然、「自由主義国になろう」という立場でしたが、ABC政策の下、韓国の太陽政策も止まりました。そうして北朝鮮を完全に封じ込めてしまえば、アメリカも北朝鮮との交渉ルートをなくします。
 そこで私の政治家としての勘ですが、先般の選挙で、ウリ党が勝ったのは、アメリカの意向が強く働いたと思っています。つまり、韓国はインターネット人口が多く、インターネットで投票をあおったのです。サッカーのワールドカップを利用して、サポーターの人たちを全員試合終了後に選挙に行かせるネット先着が功を奏してウリ党が勝ったのです。
 もちろん、ウリ党は反米で、盧武鉉大統領はアメリカ嫌いです。アメリカも反米大統領が出てきて嫌だなという素振りをしています。しかし、観光の親北政策はウリ党だからできます。朝鮮半島と北朝鮮と交渉させるには一番良い駒なのです。そこで、ある程度、北と南が相談できる関係になった時点ハンナラ党が与党に返り咲く、というシナリオをアメリカは描いていると思います。
 その証拠に韓国とアメリカと日本は、日本海において軍事演習の数が以前よりも増えています。もし韓国が本当に反米だったら、一緒に軍事演習をしません。表にでている政治と、奥の政治は違います。アメリカは北朝鮮に市場主義、資本主義、自由主義を埋め込ませて、中国に対する包囲網の最後の砦を築こうとしています。アメリカは海から半島に上がっていき、陸から中国とぶつかります。これが「半島の哲学」であり、五百年来、変わらない哲理です。


拉致問題の背景に国益の衝突が・・・

―平成9年の森訪朝団(与党代表団)に随行されるなど、当時から拉致問題に関わってこられましたが、現状をどのように見ておられますか。
 進展をしている部分と当時からあまり変化を感じない部分と、二つの感があります。北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、常に日本の考え方と同じスタンスをとるアメリカが背後にいたことで、平成8年の警察白書に初めて拉致問題が載り、依頼、今日までの進展があったと思います。一方で、中国は、アメリカと六者協議の協同議長国であり、北朝鮮ののマネーロンダリング(資金洗浄)を手伝う銀行を国内に持つ国でもあります。そういうバランスを考えながら進展させるべきを進展させる必要があります。
 森訪朝団に随行し、本当の意味での現場を見て、悪い意味で「聞いた朝鮮は奥の深い国だ」という気がします。国が他国の子どもを連れ去るというのは、国籍や民族、文化を超えて人間としての常識を逸脱しています。、そういう国を相手に外交を展開しなければいけないという難しさは、当時も今も変わっていません。ただ、解決の鍵がないとも思いません。よど号犯の妻達は拉致問題にもかかわり、彼等は36年間平壌にいるのですから、一番現場で見聞きしています。彼らを帰国させ、罪を認めさせ、刑務所に入れて罪を償わせる間に事情聴取をし、得た情報を拉致被害者の救済に有効活用すべきと思います。
 拉致問題は、国益のぶつかり合いでおきている現象と観る事ができます。北朝鮮は日本で思想工作しようとした事実があります。韓国も韓国の国益から、北朝鮮と日本とのバランスを考えて慰安す。中国も協力するといいながら協力しません。中国は北帳セ音を自由主義国家に取り込みたいと思っています。米中が北朝鮮の取り合いをしているというのが、一番わかりやすい朝鮮問題の実態とも言えます。

先祖、伝統を大切にしていく

―自民党の女性局次長も務めておられますね。
 女性の力を考えないといけない時代です。夫婦も、男性が建前をやって、女性がフォローしていくというのが人間の本能です。女性がしっかりしているというのが、国がしっかりする要だと思います。私の祖母・中山マサは、日本人の女性大臣第一号ですが、その祖母が、「男性が一人狂っても十人の女性をくるわすことはできないけれど、女性が一人狂ったら住人の男性を狂わすのは簡単だ」とよく言っていました。

―最後に、衆議院の議院運営委員として、親子三代の「議事進行係」になられた感慨は・・・。
 「議事進行係」は、祖父が戦前の四年前、父が田中内閣、そして私が小泉内閣で務めさせていただき、親子三代というのは国会で初めてです。二期生の若手議員がすることになっていますが、天国にいる祖父に、私の声が聞こえていたらうれしいなという気持ちでいっぱいです。
 中山家は私の祖父から始まったようなものです。祖父は、鹿児島県の志布志市で生まれ育って、親がすぐになくなって親戚の家に預けられました。苦学生でしたが、勉強ができたので、奨学金で帝国大学へ行き、法学部を出て弁護士資格を取得し、大阪で弁護士事務所を開業しました。戦前に衆議院に出て、戦後には参議院に移りました。私は、一番最後の孫で、よくかわいがってくれました。そうした先祖を大事にする気もちは失ってはいけないと思いますし、国としても伝統を守っていかなければなりません。それを壊そうとする共産主義やジェンダーフーリー
の思想に与するわけにはいかないと強く思います。 

 
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