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2005年12月21・28日合併号  自由民主 

私のサラリーマン時代/「広告も政治も人のつながりが大事」

広告も政治も人のつながりが大事

 私は、幼い頃から表現することが大好きだったようです。6歳の時、祖母・マサ(日本初の女性大臣)が他界した通夜の晩、悲しんでいる親戚一同を励まそうと座布団を重ね、「動物いじめ」という落語を披露しました。皆の顔に笑顔が戻った時は、子どもながらにうれしかった事を覚えています。
 中学生になると、テレビの内側に関心を持ち、「CMナウ」という雑誌をよく読みました。そこで初めてテレビの広告宣伝の裏側、作り方のからくりを知りました。驚きでした。元来、人の興味を引く事が好きな私は、何事も人と違った事をやりたいと思っていました。私風に言うとサプライズをプロデュースする事です。
 中学三年の時、仏蘭西留学を決意。高校から海外に行く事になったのですが、当時大学で米国西海岸留学の時代、米国人でも憧れる欧州に日本人として行って生活してみたいといった考えからでした。父も「お前も男や、自分の人生は自分で決めなさい」とよく言ってくれたものです。そこで外国の感覚、外から観た祖国日本に対する思いが芽生えました。
 平成5年春、大学卒業後電通に就職しました。研修中や業務の思い出もさる事ながら、いまだにお付き合いをして下さる先輩や同期がいる事を本当にうれしく思います。そしてその方々のすべてが、私同様個性の持ち主であり、コミュニケーション、プレゼンテーション能力に長けていて、たくさん刺激を受けました。同時に私からの影響を受けられた方もいた事でしょう。残念なのは若くして、体調を崩し、先に天国に逝ってしまった同期がいる事です。
 新入社員全員で毎年恒例の富士登山をして、ヘトヘトになりながらもみんなで登頂した思い出は、今でも忘れられません。電通は家族的な会社です。学生時代の延長のような気持ちで社会人になれるほど自由な社風でした。しかし、自由には責任を伴うのだという社会人としての基本も身に付けさせていただきました。中でも「電通・鬼十則」の精神論は、代議士になった今でも、日々役立っています。

 しばらくして、父(中山正暉元衆議院議員)が入閣し、秘書をつとめるために電通を退職する事になりましたが、辞めるご挨拶を成田豊会長(当時社長)とさせていただいた事はありがたい思い出です。今は電通出身の議員として、活躍を祈って下さっておられる事と推察しています。また、電通年賀会でお会いできるのが楽しみです。
 ある時、米国の第35代大統領ジョン・F・ケネディが記者に、「あなたは政治家にならなかったら何になっていただろう」との質問に、「私は世界一の広告マンになっていただろう」と答えたという逸話を聞いた事があります。広告業と政治は良く似ていると思います。どちらも常に新しいアイディアを必要とし、それを形にするためには、多くの人の理解を得ていかなければなりません。より深い理解を得るためのプレゼンテーションを続ける内容だからです。
 広告マンが広告主のニーズをしっかりと受け止めて仕事を進めるように、政治家は国民の声や思いを受け止めながら、その要望を形にしていかなければなりません。どちらも人とのつながりが重要なのです。私の場合、広告の手法、そして現場で得た経験を政治の場でも存分に生かしていかなげればと考えています。
 現在、私はテレビに30分番組を持っています。もっと多くの人々が政治に関心を示して下さったり、身の回りにある、人から教えられ初めて気が付くような些細な出来事を取材する番組を制作、放送しています。企画を立て、スポンサー営業をし、取材対象を見付け、そしてキャスターも兼務、まさに「一人広告代理店」です。社会に貢献する情報を自分で発信できる事は大きな喜びです。これもひとえに、短くも太くも内容の濃いサラリーマン時代があったからと感謝しています。

 
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