エピソード

 

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1972年、2歳

父、中山正暉の選挙カーです。1972年当時の写真です。1969年、衆議院に初当選した私の父が選挙区の中心部JR大阪駅前で、時の内閣総理大臣・田中角栄氏と街頭演説を行った時のものです。スピーカー下に父と写る子が当時2歳の私です。

父は連続11期当選を果たし、国会議員生活は30年以上に及びましたが、70歳で潔く勇退しました。

祖父と祖母

戦前に衆議院議員を、戦後に参議院議員を務めた祖父・中山福蔵は九州は熊本生まれ。父が早く亡くなったので母に連れられて、鹿児島・志布志に移りました。大阪の旧制富田林中学に遊学し、家庭教師をしながら苦労しました。旧制第七高等学校から東京帝国大学法学部を卒業、弁護士事務所を東京で開けということを最初言われたそうですが、東京だと東大の同級生と法廷で争わなきゃいけない。それは宜しくないということで、大阪で中山福蔵弁護士(法律)事務所を開きました。そこで福蔵と結婚したのが祖母マサです。

女性初の国務大臣(厚生大臣)となった祖母・中山マサは長崎出身で、長崎には活水女学校というミッションスクール・プロテスタント系の名門女子校があるのですが、祖母が13歳当時、米国宣教師であった先生のお薦めで14歳の時アメリカに渡りました。オハイオ州ウエスレアン大学を卒業した後、帰国し長崎の活水女学校で英語の教師をしておりました。そして将来、その彼女が「大阪の有権者の手によって」日本初の女性大臣になるわけです。

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25歳で初出馬

運動員がいなくて困り果てていたら、ご家族のご友人等を集めて下さったり、みんなが手弁当でやってくれて、なんとか選挙事務所を持つことができました。そうやって地元の人たちや今までのご縁のお陰で本当の意味での選挙ができて、最初の選挙の得票数は4万3,143票でした。落ちて運動員はみんなボロボロボロボロ泣いてるんですね。だけど私は「みんなで頑張って、本当に良くやって努力して下さったお陰でこれだけの結果がでてきたのに、なんで泣いてるんや。みんなが泣くとこっちも悲しくなるから泣くのはやめてくれ。むしろ、うれしい気分ですよ。こんな若い25歳の青年に、会ったこともない方々が大切な1票1票を入れて下さったんだ。私は野球場に全員の皆様を集めて、ピッチャーマウンドから、ありがとうございます!と御礼を言いたい位、すがすがしい感謝の気持ちでいっぱいです!」という話をしたのを覚えています。